今日もお越しいただきありがとうございます。あと少しで春休みです。成績処理やら、雑務に追われています。

相変わらず耳だけ状態が多い私ですが、できるときにできることをモットーにやっぱり英語漬け生活です。それがいくら要領が悪くとも。突き進んでいます。

このところ、母が弱ってきて、いろいろ考えます。で、英語の時間も変化をつけざる得なくなっている。そんな時に、もし試験特化の生活をしていたら、もっと悩んでいただろうなあと思いました。

普通、皆ない時間を振り絞って英語勉強しています。隣の芝生が青く見えてしかたがない状態。で、つぶやいてしまいます。

「時間がないから楽しい英語ができない」もしくは「ながらだから机に向かえない」

それとかこんなことも。

「映画や小説ばかり見たり読んだりしてもテストでは点数取れないから」

という言葉を何度も書いてきたように思います。

でも、ちょっと立ち止まってみると、

自分は

「映画や小説をもっと自由に楽しみたいからちょっと苦しい英語の取り組みもしている」

とも書いています。

英語力が付くまでは我慢?昔それですごく悩まれていらっしゃった方がいて、英検1級の勉強に煮詰まって、このままだと英語そのものをやめてしまいそうだと書かれていました。わかります、その気持ち。仕事も、家事も育児も押しかかってくるんですからね。

で、1級に受かってからじゃないとだめ?高得点をとらないとだめ?効率が悪いから?これも再三書いてきたなあ。

矛盾した自分にも言っているのですが、まあ矛盾があってもいいとも思うのですが、日本では多くの人が

テストに受かるために英語勉強してるってことですよね。点数を取るためというのが大前提。否定するつもりはないです。私も点数が必要なことあるし、資格があると仕事につながる可能性も高いから。特に私英語を教えているので、ほんとはもっと頑張らないとダメなんですがね(汗)

特に1級は壁が厚いです。だから皆一生懸命方法を探す。本やブログをさまよい続ける。いろんなやり方をマネしてみる。

いったん受かると受かり癖がつくとは思います。あ、私は4年ぶりに受けたときはいったん滑りましたがね(笑)例えるとコップに水があふれた状態。でもそのあと、そのコップは実はもっと大きな容器にはいっていて、また満たすのに時間がいるという状態だと思っています。そこには、いろんなアプローチが混在していて、どれもどんどん満たしていかないと力がつかない。

英語で雑誌や映画や小説を読むのを勉強にしてしまう。そこにもしかして問題があるのかもと思いました。もしくは、勉強として位置付けてしまう。

その呪縛を少し緩ませるといいのではないかなと最近思うようになってきました。

もう先が知りたくて仕方ないからという気持ちになれる。試験がないと英語が勉強できない自分、英語ができないようになるんじゃないかという不安から少し解放されます。

1級はこの前も書いたんですが、英語力以外に教養と知識が必要です。純粋に英語力だけをはかるのは難しい。だって言語はそれを語る道具だから。

知るということに考えを移すと、

どうしても点数に踊らされる自分を凌駕するにはそれがいいかなあとこのところ思うようになりました。映画や小説を読んでいて、ニュースを聞いていて、へえ、なるほどと思うことが大事だと思うようになってきました。

私は今だにパス単を音読しています。それはいったんインプットした単語をなるべく失いたくないからです。それをわかっていることで、ニュースや、小説や映画で理解度が上がるから。そこで「あ、出てきた」と認識して、また1級受けてみると、「あ、出てきた」となる。なかなか面白いです。

テストで点が上がるからだけじゃないとかえって続く。

たくさんの生徒に相談されました。

「先生、先生と英語するようになって、定期テストの点数が上がった。でも、まだ模擬テストでは点数が伸びない。どうやって勉強すればいい?」というたぐいのもの。

どんな問題がきても得点できる力は急にはつきません。長文読解を一緒にしているときに、生徒たちはいろんな英文に出会い、いろんな考え方があることを知ります。教養とよばれるものの端くれでも味わってもらうことが前提なのではないかと、一緒にやっていても思います。そこから点数に特化してしまう傾向がすごく強い。偏差値社会ですしね。

テストが客観テストだからというのもあります。そうじゃないとはききれないのもあるからだと思います。みなが自分の意見を英語で書くようになってきたら、英語で面接するようなていねいなテストになってきたらまたかわるだろうなとは思うけど、それはまだ一部でしかできてないし、遠い先のこと。それにそれをはききれる先生がまずいません(笑)少なくとも、中高では少ない。従来の英語教育を受けてきた人がやってるのだから、なかなか変わらない。だから客観テストがまだまだはびこっています。

そこに、点数さえとればいいのだという麻薬のような現象がおこっているように思えます。

もうすこし長期スパンで見ると、ちょっと違うものが見えてくるのでは?

 私の場合は、発音も、発音を気にする前に言語を楽しんでいるうちになんちゃってブリティッシュアクセントをええ加減に話している自分がいました。 音読してるうちになんとなくです。アメリカ人の先生に、「今度来る先生はイギリス人だから、君とは合うかも」なんて言われちゃうぐらい(汗)何度も書くように正式なレッスンを取ったことはないし、音声学もかじってません。

そしてかなりできないレベルから1級を受験し続けてきたので、その過程で英語読書に出会って英語がとても楽しくなりました。それが遠回りだったとしても、今はその遠回りがよかったのだと思っています。1級に受かる前から本を読む楽しみにはまり、今もずっと続いて、目標の500冊も見えてきました。

そこを読書を我慢して、てっとりばやく、要領よく1級をとずっと1級をしていたら、きっと今の自分はいないだろうなと思います。

1級を通していろんな英語に触れて、そこから広がる世界を楽しまないでどうするとさえ思っています。それが試験が示していることでは?試験の攻略もあれば越したことはないけど、それを超えて身につけないといけないことが大事では?大学なら大学で学び知ることに、ビジネスなら、仕事の内容を深くすることに。

たとえば、英検1級のために新聞を購読して毎日通勤で読んで、世界を知る。その知るが大事だと思っています。そこに使われた単語も確かに知識として必要だけど、知るために必要であって、その言葉自体を知ってることが大事なのではない。授業で文の説明、知識ばかりのオンパレードになると、生徒の力は伸ばせません。知ってることをひけらかすのではなくて、生徒に英語をやらせてなんぼです。そんなことも知らないのじゃなくて、こんなこと知ったねが大事。

自分の生徒にもそれをわかってほしくて毎日奮闘しています。受かるだけでいいではなくて、英語を通して得た知識が大事。それが大学に入った時につながっていくもの。点数じゃない。

テストを中心にやってる人はたくさん。それはそれでいいと思います。それも進む道の一つであって、どれか一つをとらなくても、どれもやってもいい。

私はできない自分と対峙しながら、自分の中の矛盾を抱えながらでも、自分なりのアプローチで英語やっててもいいじゃないかと今はちょっと思えるようになってきました。

今日も英語で同僚の先生と話をしていて、「また一緒に仕事ができたらいいなあ」と言ってもらえました。1年一緒にやってきて、私と一緒に教えているクラスは違うとさえいってくれました。偏差値的にはもっと上のレベルの子もいるんですが、私の受け持つ生徒たちが積極的にたくさん英語を話そうとするからだそうです。生徒も私もネイティブスピーカーの先生と楽しくやってきて得た結果です。

一生懸命やってきてよかった。

言語を楽しんでやることに罪悪感を感じることを減らすことができた時、

その言語を使っている時なのかも。

今日はつぶやきでした。

読んでいただきありがとうございました。

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