今日もお越しいただきありがとうございます。リクエストを受けてました。お待たせしました。

私の過去ログを読まれて、むかーしむかーし茅ヶ崎メソッドを受講していたことを書いたことが何度があるのですが、それについての思い出も含めて書いてほしいというリクエストです。

でも、通っていたのは、最古で20年以上前、最新でも7年以上前で、何年かおきに違う学校でやっていて、しかもそれぞれに1年とか通ってないんです(汗)なのであまり参考にならないかもです。

確かに最後に行った茅ヶ崎方式に通っていた時にはじめて1級を取得したのは事実なのですが、教室に通うと1級に受かるというよりは、そのレベルのことを常時やるといいという意味でいいと今は思っています。

何故なら、4年の間をあけて、また1級にチャレンジした時には茅ヶ崎の教材は一切使っていなかったからです。その時は1次に2回落ちたので、一から顔洗って出直した状態でした。

初心に帰って基礎の部分からコツコツと音読をしてきたんですが、そこで使う教材がかわっても同じだったということです。

なので、茅ケ崎だけが英検合格の決め手とも思っていません。

それよりも継続して、決めたことを「やりきること」が秘訣だと思います。

茅ヶ崎メソッドはいいとは思います。強制力が働きます。昔通訳学校で勉強した後で茅ケ崎にいったら、よく似ている部分もあると思った覚えがあります。

英語を聴いて日本語に再生するというところが似ています。通訳の練習=英語力がつくのは当たり前ですものね。それに通訳学校はべらぼうにお金がかかるけど、茅ケ崎は1万円ぐらいのお月謝(教室で値段が違います。最近はフランチャイズの力も弱い印象です)

授業は2技能(聴く、読む)を強化するすごくいい方法だと思います。精読ぎみ(実際にはスラッシュリーディングに近いと思います)なところに耳の要素を入れた感じ。

これは、日本の英語教育を受けた人にはすごく受け入れやすい方法ではないかなと思います。もともとは英語のニュースを日本語で紹介する、または逆のことをする立場の新聞記者の方が発案した方法だから、日本語が必ずレッスンに介在します。日本語にできるということは理解が深いということでもあります。そのうえ突然聞いて日本語にしていくので、反射神経とかも養われるような気がします。英語と日本語の知識を総動員する感じです。

そこでちょっと思ったのが、この方法でもいいのですが、

楽しいというよりは苦しいのほうが多いということです。それと日本語がでなければ英語がわかっていないような雰囲気があります。日本語で全部答えていくんですからね。うまくその日本語がでないと「英語わかっていない」雰囲気が先生からちょっと出るような気がするのは気のせい?あはは。あれ、プレッシャーですよね。で、次の人がすらすら答えると、コンプレックス感じます。

そう、例えば、英語のものすごくできる帰国子女で、日本語の熟語なんかが出てきにくい人も「わかってない」扱いされそうな感じです。見た目では、英語わかってないと日本語わかってないのレベルが同じように扱われる印象です。英語ネイティブスピーカーは絶対に入れませんね(笑)あ、個人的な感想ですよ。

それともうひとつ学校の英語と共通するなとおもったのは、例えば、類語や派生語を答えられないと、「わかってない」扱いされることもあります。類語が言えるのはパラフレーズできる証拠なので、それが悪いわけではないですが、かなりマニアックなことも多い。それわかったら、教室通ってないよみたいなことありました(笑)

私は通うたびに「単語をもっとやってください」と言われ続けました。いつも劣等生だったなあ(笑)褒めるやり方じゃなくて、できないことを突っ込まれるやり方だなあと思って、いつもコンプレックスを持って授業を受けていた覚えが。周りの人はわかっていて、自分だけなかなか聞き取れないと焦ったり。自分がいかにできないかを確認しに行っていたような気分になったものでした。

その時に持った生徒としての印象は生かされていて、先生として生徒にそんな思いをさせたくないと常に思うようになりました。できないことを指摘するのではなく、少しでもできたことをほめてあげるようにしています。生徒は私の大げさな「褒め台詞」を真似するぐらい大好きです(笑)なんでも学びはありますね。先生は学生時代にその科目が大得意だった人が多い。なので、時々できないことが分からなくなってることも多いと思います。名選手が名コーチとは限らないのも同じような気がします。

1次試験を受けた時、同じクラスに帰国子女の人も受験されていました。ものすごくできる方だったので、みなが詰まると、先生がその人に振るという感じでした。で、その人は1次がたまたま残念だったのですが、先生にすごく不思議がられました。なんでその人が落ちて私が受かるのだという(笑)当時その学校で受けたTOEIC、IPも900点なかったですしね。そう思われても当然かもしれないけど、相関関係があるようなないような部分もありますしね。

でも学校に通うことはある意味いい刺激にもなります。でも、今はもういいかなという感じです。私に一番ない根性が必要です。自分のペースでできない。逆に刺激を受けて、ペースを作ってほしい人はうってつけではあります。

1級に最初に受かった時に、アドバイスを受けて上級ではなくて、中級のテキストで十分だと7年前に書いた覚えがあります。そのあと2度目には茅ケ崎の長い例文じゃなくても、受験用の短文集でも十分対応できたとも書きました。

やっぱり1冊をこなすことに意義があるかなあと思います。

私は今は必要に迫られて(笑)英語全般を勉強しています。4技能をなんとか伸ばしいていい先生になりたいと思いながら。でもその道半ばです。そこで必要なのは2技能ではなくて、4技能。英語で書けたり、話せたりもしないと意味がないです。それと英語力そのものよりも「教える」力がもっと必要です。
自分が英語できても生徒を伸ばしてあげれなければ何の意味もありません。

なので、自分が英語を勉強してきて、もうひとつ要素が必要なことは何度も書いてきました。

精読と多読または精聴と多聴の二つの両輪です。最近この言葉も定着してる感じ?茅ヶ崎は精聴を補ってはくれると思います。

私が今すすんでいる道は茅ヶ崎だけで養われる力だけではないものも必要なのかもと思っています。そして今では苦しいばかりでは身が持たなくなっているので、物理的にもそれしかできないのもありますが。効率が一見悪そうに見える、「楽しいの大量」をこなしている状態です。あれ?もともとかも(汗)それで1級はなんとかなってるので、なかなか苦役には戻れないです。普段よく書く「ちょっと苦しいと、楽しい取り組み」は今までの経験から来ています。優越感や劣等感にフォーカスせずに、伸ばせたら一番いいなと思う今日この頃です。でもなかなか難しいでよね。

でも、けっして茅ヶ崎批判でもないことを明記しておきますね。私がそこまでのレベルに至っていないところもあると思います。通訳者や翻訳者に求められるものが、今の私には一番必要でないのも大きいです。私には英語で何かをできないといけないことの方が今必要なので、ちょっと道が違うかもしれません。それもちょっと疲れ気味で、もう楽しく過ごしたい自分がかなり占めているのもありますが。

ペースメーカーにするのに、英語を習いに通うのはいいことだと思います。モチベーションもあがりますしね。

リクエストを受けてずっと考えながら書き足していったので、時間がかかりました。読んでくださってるかなあ。お役に立っていなかったらすみません。

いろんなやり方があっていいと思っています。それぞれの道を歩き続けることが大事。

そこに近道はありません。それはたとえば、1級を合格された大勢の方が賛成してくださるのでは?

それに、そのあとの道の方が険しいです。

それでもてくてく歩き続けることをやめたくないです。その歩みが遅くても、要領わるくても英語はできます。

ご自身の通りたい道が見つかることを祈っています。そして、その道はいろんな方向にいけるのです。

さあ、一緒に頑張りましょう!

読んでいただきありがとうございました。

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